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こんにちわ♪

こんにちわ♪

ゼルゼル

これに関して、書こうかどうか非常に悩んだんだけど。

書くことにした。




アフリカに住んでいると、日本には存在しないんじゃないかと思われるほどいっぱいのさまざまな身障者の方々と日常的に付き合えるのだ。


そして、そんな身障者の方々の中で。

俺がアフリカ・タンザニアで暮らしたときにはじめてあった方々がいる。






アルビノ(白子)だ。





スワヒリ語で、『ゼルゼル』と呼ばれるアルビノは、からだのメラニン色素の欠乏によって起こるもので、動物界ではそんなに珍しい事ではない。



ただし、野生化でその固体だけ白いという事は目立つという事で、生存の可能性が極端に低くなるのも事実だ。



例えば、白ウサギ。人間によって改良され作り出されたアルビノウサギだ。


日本人は、古来から『白い』動物を神聖視してきたので、例えば『岩国の白ヘビ』とか、『因幡の白ウサギ』とか。


結構動物ではなじみが深いんじゃないのかな?


ところが、動物にアルビノが存在するように人間にも存在するわけなのだが、今まで見たことがなかったのだ。



とある、小学校へ小学校で飼われている牛の往診に行った時の事。



小学生低学年が、なにやら行事を始めるので、並んでいたんだけれども。



そんな中に、アルビノの子が混じっていたんだ。


アフリカにきて始めて人のアルビノを見たんだけれども、別にこの時はじめてみたわけじゃない。



ただ、写真に収めてあったのが、ただ単にこれだけだったのだ。



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アルビノの子を特別撮ろうとした写真じゃないのです。



アフリカ人は普通黒いので、白いと目立つ。


よく、向こうで俺のカラーがみんなと違って白いから、俺はブラックジョークで。

俺はゼルゼル(アルビノ)だからね♪

なんて言っていたりしたけれど。







アフリカでは、アルビノだけではなく。



多くの身障者が前向きに生きているような感じがある。


前向きというか、普通に社会に溶け込んで暮らしているんだ。


アフリカでは、身障者であっても(福祉制度が未整備なので)自力で生きていかなきゃならない。

だから、身障者の人たちも健常者の人と何ら変わらずに子供の時から表に1人で出て行って生活している。

タンザニアに住んでいた時、身障者の方を日常的によく見ていた。

そして普段から身障者の子供達も健常者の子供達と一緒に生活しているので、友達や社会の大人たちも身障者とどう付き合うべきかという事をごく自然と身につけているような気がする。


アフリカの身障者は、独力で生き抜いていかねばならない。

身障者の為の特別な居場所(施設等)などはほとんどないのだから、自力で社会に飛び込んで社会の荒波を掻き分け自分の居場所を確保しない限り、生きる術はないのだから。

行きたい場所があれば這ってでも道を歩くし、よじ登ってでもダラダラにも乗る。


しかし、そんな光景はアフリカでは珍しくも何ともないので、誰も見向きもしない。


つまり、身障者が特別扱いされない、注目を受けずに済む社会なのである。



しかし、身障者の人が助けを求めれば、(出来る範囲の事であれば)誰かが手助けをしてくれるという一面もまたあわせ持っているところにアフリカ・タンザニア社会の懐の深さを感じる。

アフリカではよくトラブルにも巻き込まれるが、また、数多くの親切にも巡り会える。

アフリカの身障者というのはとても社会に馴染んでいて、社会の中での居場所もあり、健常者の人達にまざって普通に暮らしていると思う。


だから、彼らには普通の人達と同様に沢山の友達がいる。


それに、どこにでも1人で出かけていくし、必要であれば健常者の人とも平気で怒鳴り合いの喧嘩もする。

健常者と違っている事は、純粋に体のハンディキャップなど、物理的側面だけのように俺には感じた。


そんなアフリカの状況に対して、日本では身障者など社会的弱者に対して可哀想と思ったり悲惨さを感じたりする感性が過剰過ぎるように思う。


彼らに対する可哀想という視線は彼らを哀れむという、つまり、彼らを見下す視線にも通じていく。

そうした視線が多い限り、身障者の人は気軽に外出ができないのではないだろうか。


例えば、両足のない人が自宅では(車椅子を使わずに)室内を自由自在に這って日常生活を送っていたとする。

それが一歩自宅の外に出ただけで、もし道を這って歩いたりなどしようものならば世間の好奇と哀れみの視線の集中砲火を浴びて、とても自宅の様に自由には振舞えない。


だから、外出時には最低限車椅子が必要となってしまう。


しかし、車椅子で移動できる場所は残念ながらかなり限られていると言わざるをえない。


それがもし、車椅子なしで這って移動する事やスケボーのような軽い乗り物に乗って移動する事が奇異でなくなれば、それでも行けない場所には(重くて大きく扱い難い車椅子がない分)周りの人たちも手助けがかなりしやすくなって随分行動範囲が広くなると思うのだが、これは素人考えだろうか。



人はそれぞれ生まれついての長所と短所、そしてハンデを抱えたままで生まれてくる。

運動能力や頭の良し悪し。そして、顔やスタイルの良し悪し。

アレルギー性疾患など遺伝性の強い病気や先天性の病気を抱えた人、そして貧乏な家庭や(暴力等)問題のある親の元に生まれついてしまった人。


人はそれぞれ、平等でも公平でもない様々な状況を内外に抱え込んで生まれてくる。


それを宿命とかいったりするらしいけれど。



足がないとか目が見えない、先天的に脳に異常があるといった身障者の人達が抱えるハンデついても、健常者といわれている一般の人達が抱えているハンデと同様に障害をマイナス面としてだけ受け止めて哀れみを感じるのではなく、障害を一種の個性と受け止めるべきではないだろうか。




以前、日本で診療していたときに、盲導犬の診察をした事があった。
そのときに、その飼い主さん(視力障害者)の方から聞いた事があったんだけれども。

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単なる盲導犬の写真


「僕はよく“目が見えなくて可哀想に”と言った事を言われる事があります。でも、私の場合生まれついての盲目で目が見えた経験がないので目が見えない事が普通の事であり、目が見える世界を知らないし想像もつかないので普通の人の目が見える世界をうらやましく感じることもないし、僕は僕の世界の中で目の見える人には持ちえない感性を持って楽しく暮らしているのだから、人から哀れみを受けるとかなり違和感を感じますね。だって、僕は目が見えないことによる不幸を感じた事がないんだから」

その人はその盲導犬をパートナーに持つのが、初めてのことだったので、いろいろと盲導犬と一緒に暮らして行くのが新しい挑戦みたいな感じで楽しいとも言っていた。

盲導犬は、全てをイヌに頼ってしまうわけではなく、盲導犬を連れる人間側もそれなりの訓練を受けなければならない。

最初の頃はお互い、まだまだ歩調が合っていなかったみたいで、よくガードレールにぶつかったりして、小さな傷をたくさんこしらえては来院していた。

彼は、盲導犬をパートナーとして持ったのは初めてなんだけれども、生まれたときから盲目であったので、生活自体に今まで不自由はそんなになかったんだ。

彼が盲導犬を今回パートナーにしたのは、新しい事へのチャレンジと盲導犬をもっとアピールするという事があったからだといっていた。生活自体は今まで暮らしてきたのだから盲導犬いなくても全然大丈夫だとも言っていたんだ。








さてさて話をアフリカに戻すと。

ビクトリア湖から、対岸のブコバまでの船の切符を買いに行った時の出来事で。

そこの切符売り場のおっちゃんが、なんと指が6本もあったのを今でも覚えている。

しかし、彼は何事もないかの如く普通に働いていた。

きっと、手に指が6本あったとしても生きていく上では何の支障もないのだろ
う。

そして、そんな彼の奇異な手を見ても周りの誰もがことさらに彼を特別視する事もない社会だからこそ、彼は指を5本にする手術を受ける必要も感じずに普通の生活を送れるのだろう。



また違う例なんだけれども、俺の雇っていたお手伝いのママドミナの弟さんが。

実はバスのコンダクターとして働いていたんだが。

交通事故で、右足を切断してしまったのだ。

当初ものすごくしょげていたんだけれども。

いつの間にやら元気になって。

松葉杖と、義足で、がんばって歩く練習をしていた。

もうコンダクターとしての仕事はできなかったけど。

小さな雑貨屋さんを経営するようになった。

彼が足を失ったことで、杖を使ったりとかそういったハンデは出来てしまったけれども、だからと言って誰も甘やかしたり、同情の目で見たりはしてくれない。

彼自身も最初のころはもう投げやりな感じだったけれども。

いつの頃からか、足がなくなって、義足がつけれて『足が生えたよ♪』とか、
『俺の足はいつでも取り外しできるよ♪』てなギャグを取れるようになってたっけかな。


身体的にハンディキャップを負った場合、不可能な仕事もあるが、それにもめげす生きていくというポジティブな精神が必要なんだ。





同様の事は、今の日本ではなかなかありえないことだと思う。


無論、アフリカ人と日本人の間では、そういった場合に整形手術を受ける費用を捻出することができるかどうかといった違いはあるだろう。

しかしそれ以前に、今の日本で手の指が6本のままで公然と生活をしていけば世間の好奇と哀れみの視線に日々さらされながら生活せざるおえないのではないだろうか。

身障者に哀れみを感じる感性を日本人が変えていかない限り、身障者に対する特別視はなくならないと思う。

そして、身障者の人達に対する特別視がなくならない限り、身障者の人達は健常者の人達と対等に付き合い、社会に溶け込むことは難しいと思う。

日本では、身障者の人たちを保護しなければという発想が行き過ぎて、彼らを特別扱いし、特別な施設や学校に隔絶して逆に社会から締め出している気がしてならない。

その結果、普段身障者と接する機会のなくなってしまった一般の人達(健常者)は、身障者の人達との自然な接し方というものがわからなくなって、身障者の人と接する機会に出会うと妙に身構えてしまってぎこちなくなりがちなのだと思う。

社会から隔絶した状況での身障者の人達の生活は不自然である。

そんな日本での身障者の人達の生活よりも、アフリカでたくましく生き抜いている身障者の人達の方が幸せに見えるのは、身障者の人達の現実を知らない俺の浅はかな思い違いなのだろうか。


今回の写真は、掲載しようかどうしようか、非常に悩んだ写真なんだけれども。



これを機に、このページを読んで頂いた皆さんが。



こう言った問題に少しでも触れて考えて頂ければいいなぁと思います。












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